オップラ!

日仏ファミリー目線で綴るカナダフランス語圏ケベックでの毎日。時々フランス・文房具

物乞いする人にお金をあげるべきかどうか、何度考えても答えが出ない


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物乞いをしているホームレスにお金をあげるべきか、海外在住や海外に行ったことがある方は、一度は考えたことがあるのではないでしょうか?

 

皆さんどうしていますか?私はというと、今まであげてきませんでした。

 

でもそうするのがいいと決めたことではないんです。消去法というか、あげるという決断もできず、あげないという意志も持てず何もできなかった結果に過ぎません。

 

自分の中でまだ考えがまとまってはいなくて、定期的に真剣に悩んでしまう時期があります。ちょうど今もそんな時期なので思い切って記事にすることにしました。

 

国や地域によっても違うと思いますが、主に先進国でのことを書いています。

 

フランスの知人の意見も分かれた 

パリにいた時にも一時期考え込んでしまったことがあり、機会があったので複数のフランス人の知人とディスカッションしたことがありました。

 

20代~30代の5人くらいの男女の意見、あげる派とあげない派に分かれました。 

 

あげる派

  • 小銭があれば
  • その時気が向けば

 

あげない派

  • その人にはあげないがチャリティに寄付する
  • ドラッグやお酒に使うだけ
  • 本当に困っているわけじゃない
  • お金をあげても根本的な問題の解決にならない

 

あげる派は、そこにお金がなくて困っている人がいて自分は小銭を持っている、だからあげるとシンプルに考え、あげない派はその先の使い道のことなどを考えているようでした。

 

あげない派の一人は「食べ物を買うお金を恵んでください」とホームレスの人が言うので「お金はあげられないけど、そこのお店で食べ物を買ってきてあげようか?」と提案したそうです。するとお金が欲しいと断られてしまったそうです。

 

それぞれ言っていることはある程度理解できるけど、自分の気持ちとは違う気がしました。

 

気分であげるあげないの対応を変えるのは違う気がするし、勝手にその人の状況や使い道をジャッジしてあげないというのも違う気がする。

 

あげるあげないの問題以前に、ただ抵抗がある気がします。しかしなぜだろう?

 

なぜそんなに抵抗があるのか

「これは私のお金だから絶対あげない!」と思っているわけでもないし、いくらかあげることで自分の生活が経済的に苦しくなるというわけでもありません。

 

怖いと感じてしまう

物乞いをしている人に遭遇した時の私の最初の感情は「怖い」なんだと思います。

 

でもまれに怖い人もいるけど、基本的に危害を加えてくるような感じじゃないし、礼儀正しい人もいます、だから彼らが怖いわけじゃないんです。

 

見ず知らずの人にお金をくれとお願いする発想がまず自分には出てこないから?日本ではホームレスの人はいるけれどお金が欲しいと言ってくる人にはまだ出くわしたことがないから?

 

未知なものや不慣れなものに対する不安みたいなものでしょうか。

 

それとも、物乞いをしている人の横を通るとき、何とも言えない罪悪感というか申し訳なさを感じて居心地悪いから怖いのか。

 

自己責任という気持ちも全くないわけではない

そこまで落ちるまでに何かできなかったとついつい考えてしまいます。

 

失業したのなら新しい仕事を探せばいいし、見つからなければ家族を頼ったっていいし、頼れる家族がいなければ生活保護?路上で生活するような状況になるまでに、状況を改善できたんじゃないか、など。

 

だから見ず知らずの人にお金を分けてもらおうとする行動に抵抗があるのかも。

 

でもきっと私が想像がつかないだけで、そうなるしかなかった背景や事情だってあるかもしれないんですよね。

 

お金をあげればもやもやはなくなるのか

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もしあげるようにすればこう悩むこともなくなるんでしょうか?

 

それはそれでまた悩むと思んですよね。

 

まず、全員にはあげられない。それに現金の手持ちがないとかで毎回あげられるとも限らない。誰にあげるかあげないかを自分の状況やさじ加減で決めてしまっていいのか?

 

決めてしまっていいとして、もらえる人ともらえない人の差は何なのか?

とかね。

 

一番自分の中で納得できるのは、支援団体への寄付かなあ。

 

彼らが欲しいのはお金より関心?

夫が観たホームレスの人へのインタビュー動画で「お金より関心が欲しい。気にしてほしい。」と言っていたそうです。発展途上国ではまた状況は違うかもしれませんが、それは先進国での話でした。

 

それを見てから「お金をあげる」ではなく「その人のことを気にかけてあげる」と考えるようになったそうです。

 

小銭があって自分が気が向いたとき、その人に自分が関心を持ったり心を動かされたときはあげるようにしている。あげるあげない、その時によって違う。それでいいと思っていると。

 

関心・優しさをあげるわけだから自分に余裕がないときはできない、というかあげようとすら思えない。その時々によって変わってしまってしかたないという理屈でした。

 

この考えは私にはなかったので興味深かったです。そう考えると抵抗もなくなるし少し心が楽になるかも。

 

関心を持ってあげる、つまり愛かあ。

 

おわりに

賛否両論あると思いますし、何が正解なのか正直分かりません。

 

少なくとも、何も感じずに通り過ぎることは今後もずっとないと思います。 

 

なぜなら、今までの自分の生い立ちや経済観念などの価値観を揺さぶられ、そして貧困とは?人の幸せとは?と考えてしまうから。

 

単に小銭をあげるかどうかの問題ではないから悩むんだな。 

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました♪